文化の日に当たって

 11月3日は、1946年に日本国憲法が公布された日にあたり、戦前では明治天皇が死去した日で、1927年に設定された明治節にあたる。戦前の祝日は、天長節天皇が生まれた日)とこの明治節だけでした。戦後、日本国憲法が明治の大日本国憲法と変わるということで、明治節の日に公布された。そのような日を文化の日としたのは、日本国憲法が平和と文化を重視していることが読み留められます。戦後、70年近くなって平和憲法である日本国憲法を維持してきたからこそ、日本の平和な社会が築けた。
 日本社会を動かしてきたのは、国民が好いことを継続し、ニーズに合ったものが文化となり、その文化から、いろいろな産業が生まれ、その産業に国民が従事する事にによって、生活できる。政治や経済ではなく、国民が作り上げてきた文化が私達の社会を動かしている。
 この文化という考え方は、明治維新以後の文明開化の時代にできたのではなく、日本人が誕生した頃、紀元前9000年頃最後の氷河時代が終わり、日本列島が現在の形となり、縄文人が住み着いた時より始まっています。そして、狩猟を主とした縄文人ですが、紀元前900年頃から稲作文化が大陸から入ってきて、中国の春秋戦国時代で中国の難民が日本にやって来て弥生文化を築くのですが、その当時の縄文人は、その文化を取り入れ、中国から渡ってきた人々と融和して、現在の日本人が形勢されていく。
 日本という国は、紀元前200年頃から大陸から青銅器の文化が入ってき、その後、鉄器の文化が。そのような時代にも、倭の大乱のような日本人同士の戦いもありましたが、日本人の良いところでもあるようによい文化を即座に取り入れ、その文化を吸収し、生活に取り入れていく、また、不要にになった文化は捨てていくという考え方。この考え方は、世界の国々にはない、日本独特の考え方なのです。たとえば、現代の日本語は古代から永遠に変わりなく続いてきたかというと、そうではなく、いろいろな言葉ができ、それを広め、死語となった言葉は捨てていく。だから、日本語は同じようなことを表現するのにいろんな言葉を使っています。海外の人々からすると難解な言語なのです。
 現在の日本の文化は、戦後アメリカから入ってきたようにも思いますが、今まで築いてきた日本の文化は、現在の日本人の中にしっかりと残っていますし、そのアメリカの文化を上手に使いこなしています。

ひとを管理することができるのでしょうか?

 私は、もう定年を迎える年齢になって、今まで生きてきた社会がすべて管理という言葉で育って来たように思われる。社会の一員として生きていくには、それも仕方がないことのように教わってきた。しかし、生活の空間の中で、物の管理、お金の管理、ひとの管理と色々なところに管理がひっついてきます。管理をしないと何か、不安で世の中で生きていけない恐怖感に襲われたりします。
 日本が高度成長を達成し、平和な時代では、物の管理やお金の管理さえしておけば済んだ。それが、不況下になり、ひとの管理が出現してきた。その初期には、人事移動、最終的にはひとの削減のため希望退職、そして、解雇。そんな経験をされた方もおられるでしょう。社会情勢によって、それも致しがたいことかも知れませんが、会社でこのような業務に就かれておられる方の心情も察しがつきます。本当にひとを機械的に管理することは、したくないし、ひとを管理することができるのでしょうか。管理の仕方として、よくルールを作りがたるひともいます。確かに、共同で生活するには、ルールは必要でしょうが。何でもかんでもルール。ルールに縛り付けられる感じがして、息苦しい。ルールも最低限にして、ひととひととのお付き合いのなかでは、常識、本人の自主性、心がけに任すというやり方を取る方が、自然に物事が進むのではないでしょうか。基本的には、ひととひとでは上下関係もなければ、ただ、便宜上ではあるでしょうが、思いやりとか、尊重とか、譲り合い、助け合いの精神がなければ、ひととひととの関係は、スムーズに行かないと。ひとの管理は、物やお金の管理とは違って、基本的にはできません。
 趣味の世界ではありますが、私もひととひととの繋がりの中で、管理を担当しています。ですから、管理には、神経を使います。

情報というもの。

 現在を情報社会と言われてから、もう20年位たちますね。Windows95が発売され、インターネットができるようになってからかなぁ。昭和45年に情報処理の促進に関する法律が成立してからかも知れない。この情報のお陰で、2011年の東日本大震災も国民が冷静に判断して行動ができた。阪神大震災の時よりも冷静であったことには間違いない。
 でも、情報がない時代の戦前では、政府に圧力を掛けられた新聞の報道によって間違った進路に。だから、情報は必要であると思います。しかし、情報過多というのも考えもので、情報が飛び交って本当の真実が掴めない。そんなこともありますよね。情報がない方が。言い換えれば、知らない方が幸せだったということも。個人情報保護法関連五法の個人情報の保護に関する法律が2003年(平成15年)5月23日に成立して以降、プライバシー保護が整理されて、その面ではよくなっているのだろう。
 去年10月15日にはじまった臨時国会の案件で、「秘密保護法案」が成立しましたね。この法案も国の情報の問題でした。現在では、知らないほうがばかをみる世の中ですが、秘密にしておいてほしい情報もありますよね。その辺りが今回の臨時国会で問題になった秘密保護の問題なのかも。

サム・テイラーの不滅の歌謡大全集

 サム・テイラーのテナーサックスが聴きたくて、YouTubeを開いてみたら、不滅の歌謡大全集というのがありました。おぉ、懐かしい。全曲、コピー。120曲もあり、中には父親の時代の曲も。昭和歌謡全集か。だけど、全曲とも聴いたことがある曲ばかり。若い頃、カラオケで歌った曲もかなり。今、洋楽を中心に1960年代から2000年代までの曲を集めているけれど、昭和歌謡曲はなんて未熟なんだろうと思う。だから、演歌が廃るはずだ。でも、なつかしい。これは、何なのだろう。それは、私が生きてきた上で、その当時にヒットした曲があり、その当時の生きざまが。昔の曲を聴くとその当時の出来事が浮かんでくる。それも、美化された思い出ばかり。
 音楽って不思議だね。音楽の質の問題じゃないんです。音楽を聴いて、いやなことや苦しいことを忘れさせてくれる。麻薬のような要素があるのかなぁ。現在、私達が聴いているポップスなどですが、音楽は、最古のころから存在する。もちろん、質とか音感とかわ違いますけれど。ベートーベンやチャイ木鋤ーなどを私達はクラッシクと言っているけれど、1700年代では多分新鮮な音楽だったのだろう。
 サム・テイラーの話に戻るけれど、1960年代にラジオに流れてきたサム・テイラーのテナーサックスを聴いて憧れたことがあります。ニニ・ロッソのトランペットもそうだけど、小学生の頃、友達がトランペットを吹いているのを見て、私も。しかし、音がでなかった。日本では、サム・テイラーはテナーサックスの神様のような存在だったけれど、今考えるとアメリカのジャズを演奏しているミュージシャンの方が上だったのだろうなぁ。サム・テイラーが日本のレコード会社に招かれて、日本の曲を演奏していたのだから。

真理の追求、何故人間は死を迎えるのか。

 この地球に人類が誕生して、現代まで永遠とその血筋を継承してきたひとつの要素に「真理の追求」があると思います。真理とは、科学的なものたとえば、数学や物理の世界で使われている言葉もありますが、私が言う真理とは人間の幸福とか、不老不死とか、男女の性行為等をいいます。宗教的に使われている「真理」なのです。
 人類が誕生した時に、脳の発展段階でこの真理の追求が備わっていた。たとえば、人間は何故病気になるのだろうかとか、何故年を取って老けるのか、何故死ぬのだろうかとかです。人類も動物ですから、子孫繁栄の性欲は本能的に備わっていたと思われます。人間は何故死ぬのか。この死には災害による死、病気による死、餓死などがあり、先史時代からこの問題を解決するため、土木工事、薬事、農耕、呪術などわるが発展してきた。その他に戦争がありますが、これは人類が誕生してより、戦うという本能は備わっていたでしょう。人間の死に対する恐怖心から、神が想像され、宗教が生まれてくる。原始的な宗教では、呪文や舞や雅楽などが発展、呪文から文字、舞からダンス、雅 楽から音楽となってきます。古代の人々は永遠の魂を願って、文字を書き、人間の営みや神々のことや歴史・教訓などを経典に仕上げていった。その中に、キリスト教旧約聖書や聖書があり、仏教の華厳経法華経などの経典があるのです。
 これらの経典にどうは死後の世界が描かれています。日本の原始宗教で八十神の神々が登場して、天界である高天原のことなどが伝えられています。私は仏教徒なので、世界中で最後にでてきた宗教、仏教の最後の経典、法華経の中に人間の一生のことが書かれていて、六道輪廻、すなわち、人間は生を受け、この世に生まれてきた以上、この世で一生懸命に生き抜き、死にだ後はその魂は次の世に生まれ変わるという教えを信じています。

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第二の人生のスタート

 1952年12月31日に生まれて、今年2013年1月1日の正月を60歳で迎えました。考えて見ると短いような長いような一生を送ってきたと。思い出も沢山ありますが、日頃生きていく上で、忘れてしまってしまったこともたたあります。ひょっとした瞬間に昔のことが思い出せます。人間の一生なんかそんなものですね。ただ、60年生きてきての経験だけが身に付いています。29歳のときにパソコンがあるのを知って、30歳を超えてからワープロを、40最頃からWindowsを触ってきました。それだけなのです。現在に至るまで、このパソコンの進化はすさましいスピードで進化してきて、今までの経験を生かすことなどできない。その進化について行くのがやっとのことなのです。
 最近、Yahoo!のブログ「いにしえララバイのブログ」で知り合った方がおられて、年を聞きますと77歳にもなられておられます。その方がブログを公開し、Facebookにも参加されています。若い人なら信じられないことだと思います。その人の曰く、「もう10年生まれるのが遅かったら」とか、「若い時に遊んでいたので、今頃になって」と言われています。この方今でも現役で、商店を経営されています。また、パソコンを息子さんから伝授されて、先史代の研究をされています。凄く、立派です。
 今年も正月早々、箱根駅伝が開催されています。大学生の競技ですが、コースとか気候条件は一緒です。その駅伝に参加して、平坦のところが得意な選手や距離の短いところが得意とか山登りが得意な選手が競い合う競技です。パソコンを使うのも、この箱根駅伝によくにていると思います。パソコンを始めたきっかけは個々によって違います。デザインから入ってきた人、理工学を専攻してプログラムから入ってきた人、一般的な業務事務から入ってきた人など色々です。パソコンの入り口はいくらでもありますね。このパソコンの到達点もいくらでもあるのです。でも、パソコンの機能はそんなに変わらない。箱根駅伝に参加している選手の中には、陸上部一筋という選手もいれば、参加している大学に入って、陸上部以外のスポーツをしていたが、箱根駅伝に憧れて陸上部に入部した選手も、箱根駅伝を参加してから、マラソン選手を目指す選手もいれば、トラック競技に進むものもいる。ただ、箱根駅伝という土俵に上がっているだけなのです。パソコンも同じです。パソコン機能を習得すれば、後はパソコンの土俵に上がると若いとか年を取っているとか、経験が豊富とか、パソコンの初心者とかは関係ないのです。パソコンを使っている方は、個々の目的のためにパソコンを使っているからです。
 私は、学生時代歴史に興味を持ち、高校生の時の日本史や世界史の時間が楽しみでした。それと、部活ではスポーツと美術を専攻していましたので、デザインなんかも興味がありますね。大学では経済を専攻しましたが。
 60歳になって、色々なことを経験してきましたが、若い時に関心があったことは今でも続いてます。不思議なものですね。現在、パソコンとは長い付き合いをし、ブログやSNSにも参加しています。それでも、ブログの内容などは、やっぱり若い時に興味があった歴史、特に先史代のことを記載しているし、これまでパソコンを経験したことによって、ブログなどのデザインも私が加工して載せています。小説の執筆も長年パソコンを触ってきて得た文章力の賜物です。さて、60歳を境にこれまでの経験と興味を生かして、これからの時間を仕事では味わえない空間で生きていこうと思っています。私が遣り残したことを仕事という柵の空間ではない世界で生きていこう。これが私の第二の人生のスタートです。

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Facebookとの出会い

 2010年7月にFacebookに参加して、もう2年以上になります。いにしえララバイのブログを最初に公開したのが、2010年4月27日でした。それから、ソフトコレクションのブログ。今の「ちょっと!ソフト」でパソコン操作です。その後、たつやの料理教室。このブログは、ディストリビュータになって、小遣い稼ぎに変化し、MLMネットワークビジネスの記事を掲載していたので、打ち切られてしまいました。そこで、3代目の有頂天な気持ブログとなって、現在、ビジネスの記事を掲載しています。このように、ブログを始められたのが2005年頃ですから、かなり後発ですね。
 ブログの開始が後発だったため、ブログを紹介する手段として、twitterを使いました。ほとんどがブログのBOTとして。twitterを始めたのが2010年6月18日からです。その頃、twitterはもうかなりの人が使っていました。今でも、ブログのBOTが中心です。140字位で、本心を伝えることができないですから。その後、出会ったのがFacebookです。Facebookは、まだ日本では浸透していなかったと思います。Facebookを登録したのは、2010年7月16日のことです。あるブログを拝見していたら、目新しいFacebookが目に留まりました。そのブログにFacebookの事が書いてあり、その方のFacebookを拝見すると、海外の家族の写真のやり取りが主でした。現在のFacebookと様相も少し違っていました。そして、登録してパソコンに強い友達がFacebookに加入していたので、友達リクエストすると即座に2人が友達になってくれました。でも、使い方が今一分からなくてそのままにしていたのです。すると2010年10月になって、Facebookからメールが来て、Facebookが日本にも支社を設置して活動を開始することに。そして、今までのFacebookと違った形態になると。そこで、2010年10月10日からtwitterと同じようにBOTとして使用していたのです。それが、2011年4月頃から日本でもFacebookをされる方が多くなってきました。それから、友達が少し増え、現在30名位の友達となりました。twitterのフォローで、友達が多くなったのと違って、Facebookの友達の質を高めようと思って、少なくなっています。フィールドの購読でも50名位です。Facebookは、これで良いと。
 最近、Facebookがマンネリ化してきたと思っていたところ、友達のFacebookから「友達の友達はみな友達だ♫本気の応援いってみよ〜 クリスマス編」のFacebookページを見つけました。これがなかなかいい企画で、今までFacebookをやってきて始めて目覚めたような気がします。毎日、Facebookからのお知らせがたくさんきます。Facebookが活気をましてきました。皆さんも参加されては如何ですか。

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