いじめを発生させている義務教育

 今年ほど、いじめの問題がニュースになった年はないのだろうか。いじめに遭って、自殺にまで追い込まれた学童もいます。戦後、日本で実施されてきた義務教育は、日教組が主導で行われてきました。義務教育は初等教育中等教育ですが、現在では高等教育も入れられることが普通になっています。6・3・3制ですね。この制度の初等教育中等教育は年齢主義によって構成されています。高等教育は課程主義で構成され、カリキュラムを順調に通過すれば年齢相当で卒業できますが、カリキュラムが残れば留年もあります。でも、大概は補修を実施し、年齢相当で卒業しています。
 年齢主義が基本な日本では、6・3・3制の間、同年齢の生徒でクラスを構成されています。この主義は確かに平等主義に則って行われているのですが、これがひょっとしたらいじめを発生しているのではないでしょうか。
 私も戦後生まれで、6・3・3制で育ってきました。でも、私たちの時代にはいじめなど発生しなかった。いや、あったかもしれないが問題にならないほどだと思います。その当時育った私たちの周りには、高学年の幼友達や低学年がいて、一緒に遊んだ時代だった。そんな環境でいじめなど発生するわけがない。ガキ大将もいれば、泣きみそもいた時代。
 現在の義務教育で同じクラスに年齢差が存在したら、どのようになるだろう。年上の生徒は若年の学童を可愛がるだろうか。若年の学童は年上の生徒を敬うだろうか。それはわからない。でも、現在の学校の状況よりはましになるかもしれない。大人の世界と同じようになれば良い。
 このような学校の環境を変えるには、高等教育が取り入れている課程主義を導入して、留年もあれば、飛び級もある学校教育が義務教育にあっても良いかも知れない。でも、義務教育である以上、6・3と言う年月は変えたくないと考える方には、年数主義を取り入れても良いのではないですか。 年数主義とは、日本では年齢主義と同じように扱われていますが、たとえば、ある学童が重病に罹り、1年間棒に振ることがあるとしましょう。その時、現在の義務教育では年齢主義ですから補修などを行って進級させます。しかし、年数主義であれば、もう一度、病気前の学年で授業を受け、最終的に1年遅れで義務教育を終了する。もし、本人がそれがいやであったなら、進級試験制度を法律化して、飛び級を実現すれば良いと思います。現在の子供を持つ親はこの制度に不満があるかも知れませんが、子供のためには良いと思います。私は子供たちをのびのびと育てたいと考えています。

サンジの満腹ごはん ONE PIECE PIRATE RECIPES 海の一流料理人

サンジの満腹ごはん ONE PIECE PIRATE RECIPES 海の一流料理人

収穫祭、ハロウィン。

 最近、大阪ミナミのアメリカ村付近に行くことが多い。このアメリカ村は、大阪の若者の街です。先週の週末あたりから、若者達が仮装して騒ぎまわっている。そうか、10月31日の夜はハロウィンなのだ。
 ハロウィンは別に日本人が騒ぐほどの祭りではないのですが、終戦アメリカの進駐軍が日本を占領してから、日本人はアメリカで騒いでいるハロウィンをも受け入れるようになったのだろうか。このハロウィンは、アメリカやヨーロッパでのお祭だから、キリスト教に関係しているのかと思っていたのですが、違っていた。
 紀元前1,500年頃、中央アジアにいた遊牧民族インド・ヨーロッパ語族ケルト人がバチカン半島に進出し、アルプスを越えて、フランスの北西部辺りまで移動し、青銅器時代後期から鉄器時代にかけてハルシュタット文化(紀元前1,200年〜紀元前500年)を築いた。その後、ケルト人はローマ帝国の侵略やゲルマン人の侵略を受け、イギリスのウェールズからスコットランドアイルランドまで移動していった。イングランドでにアングロ・サクソン人が勢力を持つようになり、現在、スコットランド北部とアイルランドに純粋のケルト人が住んでいる。イギリスで暴動を起こしたりしているのが、このケルト人です。
 ケルト人は、もともと中央アジアに住んでいて、ケルト人の暦では10月31日は1年の最後の日なのです。その頃、農作の収穫期が終わるのですね。だから、日本で言えば大晦日に当たるわけです。10月31日の夜が、新年を迎える夜となる訳です。その時に、ケルト人は自然崇拝に基づく死者のお祭と収穫祭をする。これがハロウィンなのですね。だから、キリスト教のお祭でもないし、中秋の名月のようなお月様のお祝いの日でもないのです。
 現在、ハロウィンで仮装したりして、お祭ムードになったのは19世紀後半のアメリカの非宗教的大衆文化からなのです。アメリカで行なっているはろ、10月31日の夜に仮装して、死者を向かいいれるパーティみたいなものなのですね。

Kindle Paperwhite 3G (第5世代)

Kindle Paperwhite 3G (第5世代)

星を眺めて

 昨日、宝塚に所用で行き、星を眺める機会がありました。じっくりと眺めるのは、何年ぶりだろう。
 私が幼稚園に行っている時、大阪の四ツ橋に電気科学館があって、そこにプラネタリュウムがあり、そこで星の観察ができました。小学生の時も行ったかなぁ。あれから何年たつだろう。四ツ橋の電気科学館もなくなり、時代の流れを感じる。
 プラネタリュウムを見たお陰で天体に興味を持ち、中学生の頃、夜空を眺めて、あれがオリオン座、あれカシオピア座、そして、北斗七星、その先に北極星とロマンチックな気分になっていた。
 昨日、宝塚で見た夜空も、中学生の頃見た夜空と変わっていない。私が年を取り、歳月が流れようと、夜空の星は変化しないのです。太古の人々も、この夜空を眺めていたのだろうか。紀元前3,500年頃に、メソポタミア地方にシュメール人がいた。このシュメール人は、楔形文字を発明し、それ以前に灌漑農耕を始めたウバイド人の文化を継承して、チグリス・ユーフラテス川下流で、ウルク文化を形成し、メソポタミア文明の礎となった。このシュメール人もこの夜空を眺めていたのだろう。北極星を探しだし、方角を調べたり、明けの明星(金星)が夜明け前に東の方角に、きらきらと輝く。それを見て、夜明けが近いことを知ったのだろう。その神秘的な星空を観察し、農耕に必要な暦を発明する。月の掛け具合と太陽の日の出時間などを調べ、一ヶ月の周期と1年間が12月あることを。太陰太陽暦です。明けの明星の周期と太陽の周期を調べて、六十進記数法を見つけたのです。
 秋本番になって、夜長な時間をふと夜空を眺めてみませんか。

ヤンキーズが地区優勝。イチローがんばれ。

 今年、マイナーズで成績不振からイチローがマイナーズからヤンキーズに途中移籍した時、もうメジャーリーグでは野球ができないのではないかと思いました。イチローの野球人生の花道としてヤンキーズに移籍したのかな。でも、最近のイチローヤンキーズでの活動により、ヤンキーズがメジャーの東地区で優勝しました。
 ヤンキーズと言うと、松井選手が在籍していました。この時は、ヤンキーズを特に応援しようとは思わなかったのですが、イチローヤンキーズに入団したとなると話が変わってきます。松井選手がヤンキーズのユニホームを着ていても、ヤンキーズらしいとは思いませんでしたが、イチローヤンキーズのユニホームを着たとたんに、イチローヤンキーズのユニホーム、よく似合います。そして、地区優勝。イチロー、輝いています。さすがにイチローです。 イチロー、何時までも野球を続けてください。日本の星なのですから。日本人の多くがイチローを応援しているのですからね。イチローがんばれ。

OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜(初回限定盤)

OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜(初回限定盤)

古代人のこころは、現代日本人にも通じる。

 今日、彼岸のため墓参りに行きました。その後四天王寺に寄って見て、聖徳太子の十七条の憲法が目に入り、よく読んでみると現代の日本にも通用するないようなので、皆様にも紹介します。十七条の憲法は、推古天皇の時代に摂政の任務に付いた厩戸皇子聖徳太子)が公務を行なっている官僚に対して示した憲法です。
 この十七条の憲法は漢文で書かれ、その漢文を現代言葉に訳された金治勇氏の「聖徳太子のこころ」から引用させて頂きました。

十七条憲法

一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。

二にいう。あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。3つの宝とは仏・法理・僧侶のことである。それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範である。どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。人ではなはだしくわるい者は少ない。よく教えるならば正道にしたがうものだ。ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか。

三にいう。王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがいなさい。君主はいわば天であり、臣下は地にあたる。天が地をおおい、地が天をのせている。かくして四季がただしくめぐりゆき、万物の気がかよう。それが逆に地が天をおおうとすれば、こうしたととのった秩序は破壊されてしまう。そういうわけで、君主がいうことに臣下はしたがえ。上の者がおこなうところ、下の者はそれにならうものだ。ゆえに王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがえ。謹んでしたがわなければ、やがて国家社会の和は自滅してゆくことだろう。

四にいう。政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本にもちなさい。人民をおさめる基本は、かならず礼にある。上が礼法にかなっていないときは下の秩序はみだれ、下の者が礼法にかなわなければ、かならず罪をおかす者が出てくる。それだから、群臣たちに礼法がたもたれているときは社会の秩序もみだれず、庶民たちに礼があれば国全体として自然におさまるものだ。

五にいう。官吏たちは饗応や財物への欲望をすて、訴訟を厳正に審査しなさい。庶民の訴えは、1日に1000件もある。1日でもそうなら、年を重ねたらどうなろうか。このごろの訴訟にたずさわる者たちは、賄賂(わいろ)をえることが常識となり、賄賂(わいろ)をみてからその申し立てを聞いている。すなわち裕福な者の訴えは石を水中になげこむようにたやすくうけいれられるのに、貧乏な者の訴えは水を石になげこむようなもので容易に聞きいれてもらえない。このため貧乏な者たちはどうしたらよいかわからずにいる。そうしたことは官吏としての道にそむくことである。

六にいう。悪をこらしめて善をすすめるのは、古くからのよいしきたりである。そこで人の善行はかくすことなく、悪行をみたらかならずただしなさい。へつらいあざむく者は、国家をくつがえす効果ある武器であり、人民をほろぼすするどい剣である。またこびへつらう者は、上にはこのんで下の者の過失をいいつけ、下にむかうと上の者の過失を誹謗(ひぼう)するものだ。これらの人たちは君主に忠義心がなく、人民に対する仁徳ももっていない。これは国家の大きな乱れのもととなる。

七にいう。人にはそれぞれの任務がある。それにあたっては職務内容を忠実に履行し、権限を乱用してはならない。賢明な人物が任にあるときはほめる声がおこる。よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。世の中には、生まれながらにすべてを知りつくしている人はまれで、よくよく心がけて聖人になっていくものだ。事柄の大小にかかわらず、適任の人を得られればかならずおさまる。時代の動きの緩急に関係なく、賢者が出れば豊かにのびやかな世の中になる。これによって国家は長く命脈をたもち、あやうくならない。だから、いにしえの聖王は官職に適した人をもとめるが、人のために官職をもうけたりはしなかった。

八にいう。官吏たちは、早くから出仕し、夕方おそくなってから退出しなさい。公務はうかうかできないものだ。一日じゅうかけてもすべて終えてしまうことがむずかしい。したがって、おそく出仕したのでは緊急の用に間にあわないし、はやく退出したのではかならず仕事をしのこしてしまう。

九にいう。真心は人の道の根本である。何事にも真心がなければいけない。事の善し悪しや成否は、すべて真心のあるなしにかかっている。官吏たちに真心があるならば、何事も達成できるだろう。群臣に真心がないなら、どんなこともみな失敗するだろう。

十にいう。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。

十一にいう。官吏たちの功績・過失をよくみて、それにみあう賞罰をかならずおこないなさい。近頃の褒賞はかならずしも功績によらず、懲罰は罪によらない。指導的な立場で政務にあたっている官吏たちは、賞罰を適正かつ明確におこなうべきである。

十二にいう。国司・国造は勝手に人民から税をとってはならない。国に2人の君主はなく、人民にとって2人の主人などいない。国内のすべての人民にとって、王(天皇)だけが主人である。役所の官吏は任命されて政務にあたっているのであって、みな王の臣下である。どうして公的な徴税といっしょに、人民から私的な徴税をしてよいものか。

十三にいう。いろいろな官職に任じられた者たちは、前任者と同じように職掌を熟知するようにしなさい。病気や出張などで職務にいない場合もあろう。しかし政務をとれるときにはなじんで、前々より熟知していたかのようにしなさい。前のことなど、自分は知らないといって、公務を停滞させてはならない。

十四にいう。官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。嫉妬の憂いははてしない。それゆえに、自分より英知がすぐれている人がいるとよろこばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。それでは500年たっても賢者にあうことはできず、1000年の間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては国をおさめることはできない。

十五にいう。私心をすてて公務にむかうのは、臣たるものの道である。およそ人に私心があるとき、恨みの心がおきる。恨みがあれば、かならず不和が生じる。不和になれば私心で公務をとることとなり、結果としては公務の妨げをなす。恨みの心がおこってくれば、制度や法律をやぶる人も出てくる。第一条で「上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議しなさい」といっているのは、こういう心情からである。

十六にいう。人民を使役するにはその時期をよく考えてする、とは昔の人のよい教えである。だから冬(旧暦の10月〜12月)に暇があるときに、人民を動員すればよい。春から秋までは、農耕・養蚕などに力をつくすべきときである。人民を使役してはいけない。人民が農耕をしなければ何を食べていけばよいのか。養蚕がなされなければ、何を着たらよいというのか。

十七にいう。ものごとはひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。

 皆様がこの憲法を読まれてどのように考えられたかは定かでないですが、私は日本人の根底に流れている日本人の秩序をこの古代の人々が既に示しておられる事に感銘を受けました。ここでは、古代の官僚に向かって訴えられているのですが、現代社会人として、経営者として、従業員として、心がけておかねばならないことが書いてあります。
 古来より、海外からの侵略に対してこのような考えかたで政治を行なってきたのだなと。蒙古の襲来、キリスタンの侵入、ペルーの来航など。一人の独裁者によって、対策を決定したのではなく、天皇陛下にお伺いを立てたり、集団で論議したり。現代の政治の世界でも同じですよね。尖閣諸島の領土問題でも、東日本大震災の問題でも、原発の問題でも。一人の政治家の考えでは決められない国。この傾向は、古代から永遠と続いているように思われてならない。

99%対1% アメリカ格差ウォーズ

99%対1% アメリカ格差ウォーズ

反日デモと中国の政権

 日本では考えられないのですが、中国の人口が10億人と言われているのに、共産党に入党しているのは、7,000人程らしいですよ。そんな共産党が政権を持ち続けること自体、日本では考えられない。中国の国民を押さえつけているのは、軍隊ということになる。
 今回の尖閣諸島の問題で、中国で若者が反日デモを繰り広げ、破壊を繰り返しています。これらの若者達は、共産党員でも反政府集団でもない。驚きますね。結局は、この反日デモには主義、主張などないのです。何かを破壊することによって、新しいものが生まれると考えているのです。日本でも、江戸末期に倒幕を旗印に暗殺が横行した。要人を暗殺して、世の中が変わりますか。戦前にも、2.2.6事件や5.1.5事件がありました。それで、体制が変わったでしょうか。変わりませんでした。太平洋戦争という、それよりも悪い状態になったではないですか。
 今回の中国の反日デモを見ていると、尖閣諸島(釣島)は中国の領土だというばかりで、歴史的な根拠も何もないのですよ。そんな彼らに対して、日本人としてまともに相手できますか。まだ、主義、主張があるのならまだしも。それよりも、現在の中国の政権が共産主義だというのに、いつの間にか偽資本主義になっていること事態が問題じゃないのですか。中国も国際社会の一員として、早く共産党独裁を改め、民主主義の国になることを望む。その時、はじめて日本は、中国を認めるだろう。今の中国の状態では、大人と子供という状態ですよ。中国も早く、大人にならないと。

FUJICOLOR 額縁 A29 アクリル A3ノビ アルミ ブラック 7854

FUJICOLOR 額縁 A29 アクリル A3ノビ アルミ ブラック 7854

質屋の復活

 今まで使っていた品物を質屋に持っていき、お金に換える。その品物は、ある程度の時期までに元金と利息を払えば取り戻せるが、その時期が過ぎると質流れといって手元に戻ってこない。また、最初から品物を質屋に持ち込んでお金に換えることもできる。現在では、カードローンなどで、お金を借りれるようになり、品物をリサイクルショップに持っていけばお金に換えることができる。インターネット上で品物の取引をするオークションもある。
 質屋は、日本独自の庶民の金融屋という性格を持ち、古くは鎌倉時代から存在していた。しかし、サラ金などの出現する1960年代から、徐々に廃業するところがでてきて、現在では質屋の大手しか生き残っていないのが現状です。
 現在の質屋の業務は、金融業のイメージは少なくなり、貴金属や高級品やブランド物の売買が主流になってきている。質流れの商品のバザールを開催すると、高価な品物が安く手に入ることができる。最近では、大手の質屋でもインターネット上でカートシステムを採用して、手軽に質流れ商品を手に入れることができるようになってきた。
 質屋のネットを使用しないでも、オークションで十分に中古商品を購入できるかと思います。しかし、質屋のネットを利用すれば、貴重品やブランド物などが安心して購入できるのは確かです。なでなら、質屋ネットに持ち込まれる品物は、売ろうとするユーザが一度、品物を質屋ネットに送って、質屋ネットがその品物の買い取る金額をメールなどの通信手法でユーザに提示し、ユーザが了承すれば、お金が所定の口座に振り込まれるというシステムです。もし、質屋ネットが提示した金額に納得いかなければ、発送の手数料は質屋ネット持ちで、送り返されてきます。質屋ネットですから、従来の金融の特性もありますので、定期的に利息を払っていけば、その品物は質流れにならずに、質屋ネットで預かってくれることもできる。
 このようなことを考えると、オークションで煩わしい、個々の交渉、大事な品物を購入するには、相手に会って現物を確認しなければならない。金額を手にするまでが煩わしいこともある。その点、品物を質屋ネットに発送するような手間はあったり、思うような金額が手に入らないかも知れないが、安全性や安心感はあるでしょう。
 日本の混迷する経済状況では、昔から生活の知恵で質屋を利用してきたように、品物の有効利用などの考え方から、質屋ネットをもっと利用すれば、市場の活性化が進むのではないでしょうか。現在の日本では、商品の流れが鈍い状態では、質屋のシステムを近代化することによって、マーケットの活性化が図れるのではないでしょうか。

エビコレ+ アマガミ(通常版) - PSP

エビコレ+ アマガミ(通常版) - PSP